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仏前の旦那、習わぬ花を供える
門前の小僧、習わぬ経を読むということわざがあります。その意味は皆さんが知って通り、小僧がお経を教えてもらったわけでもないのに、聞いているうちにお経を読めるようになったなどというものです。最近の旦那を見て本当にそのことわざの通りだなと感じる出来事がありました。
きっかけはお義母さんの死
旦那のお母さんは昨年の秋に亡くなりました。その後、家の仏壇に向かい仏さまを拝み、線香をあげたりするようになりました。以前の旦那は、そのようなことを自分から進んでするような人ではありませんでした。ですが、今の旦那は毎日線香をあげたりして、仏壇に向かい熱心に拝んでいるのです。そのような感じですから、お供えのお花の水やりなども毎日欠かさずしているのです。
そんなある日に旦那が、毎日お花の水をかえていると花が枯れているのはもちろんのこと、萎れているのが気になったりして、はさみで切ったりして自分が良いと思うように自己流で整えている、と言いました。旦那は今まで、花というものにまったく興味を持たず、その存在にさえ意味を感じていなかった人なので、話を聞いたときには少しびっくりしました。確かに、最近のお花はまとまっているようにも感じます。最初のときは、これじゃいくらなんでもお義母さん怒るだろうというようなものもあったのです。それが、なんとなくまとまっているように見える程度までにできるようになっているのです。旦那にとっては大進歩です。
旦那曰く、日々花を見ているとどこを切ってどうすればよいのかが少しずつわかってくる、ということなのです。旦那のほら吹きはどうでもよいとして、花の命の大切さを理解しようとしている姿は大切だなと思いました。その気持ちというか行いは、きっと故人を偲ぶ思いからくるのでしょう。天国にいらっしゃるお義母さんの導きかもしれませんね。
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